老化は教わった通り



また新しい年が明け、ひとつ歳をとることになります。

すでに、未来に向かう新たな年明けという年齢でもなく、世の中は緊急事態宣言でますます暗い状況。おめでとうという響きも虚しく聞こえるほど、なんとかならんか!と思う日々です。


歳をとるとはどういうことか、教えてくれるお元気な先輩がたくさんいます。自分が経験するまで実感はないわけですが、さすがに最近は「あっこれか〜、この事だったんだ」ということをたくさん経験します。老化の速度は違えども、老化の中身はそう変わらないようです。


私が40歳の時に仲間とかくの木を立ち上げた頃、ひとまわり以上歳の違う先の代表は、書類を見るたびに老眼鏡がないと細かい字が見えない、とカバンの中を探し回っていました。言葉では理解していても、やはりその程度の字が見えないのは納得しかねる状況で、遠近も有るから掛けとけば、くらいに思っていました。でも、その後10年経たずに、「あっこれか〜、この事だったんだ」と言う日が訪れ、お約束は守られることがわかりました。乱視と近視で眼鏡が当たり前の生活だった私と違い、健眼の方が中年以降から使う眼鏡はさぞかし煩わしかっただろうと今は理解でき、優しくなかったなあと反省します。


打ち合わせの記録やスケジュール管理も、40代の頃はそう意識せずとも忘れることはありませんでしたが、50代の時はスケジュール帳がシステム手帳に変わり、どんどん厚いものになりました。かつては、そこまでメモしなくても大丈夫じゃないと私が言い、でも忘れると困るのでと丁寧に記録している先輩の様子を見て、心の中ではいやいや近々の予定だし忘れるはずないとたかを括っていました。でも今の私はシステム手帳がiPadに変わりましたが、毎朝スケジュール管理画面で確認し仕事に臨んでも、つい予定を忘れてしまい慌てて飛び出したりしています。別に時間刻みで予定が入っているわけではないのに。「あっこれか〜、この事だったんだ」


確か、本を読んでもストーリーを思い出せなくて推理小説の犯人を忘れちゃったりするのよ、というのもありました。情けないけど2度楽しめるのよと言われ、なんと楽しい物忘れ、と笑いつつ、本音はそれは無いだろうと。でも最近は我が本棚に並んでいる本を覗いていて、あれっ、これ読んだかしら?と思うことが度々で、ストーリーも犯人も思い浮かばない。「あっこれか〜、この事だったんだ」です。

いつかもう一度読もうと思って書棚に積んである本が、この先新刊本のようにまた読むことができる。それも悪くないかと、まあ、本が捨てられない屁理屈みたいに納得しています。


老化を感じるあれこれは、もう語りきれない状況になってきました。でも、この先も先輩のアドバイスがあれば、急に驚く事もなく、自身の情けなさにあまり落ち込まずに済むわけで、本当にありがたい元気な先輩たちです。

今年はどんなふうに歳をとっていくのか、緊急事態宣言をいいことに運動不足は必須。膝・腰の衰えどうしよう。有名な女優さんは毎日スクワット100回とか聞くと、さすが凄いなあと感心する、だけで終わっちゃダメか・・・