はじまりの記憶   ~障がいのある方と~ 

  なんだか立派そうな表題はいかがなものかと思うのですが、私が新座市に住むようになってから切り離せないことですし、かくの木が設立された経緯にも大きく影響しているので思い出すままに少しずつ書いてみます。

私にとって最初の障がいの方との接点は「よろづや」というお店でした。上の子が2歳過ぎた頃に新座団地の賃貸に入居することができ、ある時ポストに「よろづやオープン」のチラシが入っていました。自然食と住民のバザー品を置くお店で、障がいのある方と一緒に運営する、みたいな内容が書かれていました。気にはなったのですが、長女を保育園に預けて9時~16時のパートで働いていたので、なかなか行く機会もなく、ある時散歩のついでに見かけたので寄りました。

お店に入ると、車いすに座ったかなり重度と思われる障がいの方と、お年寄りの女性二人がいました。壁にはバザー品と思われる手芸品などが並び、棚や冷蔵庫には今でこそ何処のデパートでも見かける、よつばの牛乳やバター、ムソーのお菓子、地場で繋がったお醤油やお味噌などが置いてありました。子供には良いなあと思い、いくつか購入したのですが、お店番のおばあちゃんからリユースのポリ袋を渡され、自分で入れてねと言われました。バターも牛乳も冷蔵庫から自分で出してポリ袋に入れました。それごと渡すと、おばあちゃんが電卓で計算して金額を言われ、お金をトレーに置くと、レジの前に座っている車いすの方がレジを開けます。自分でお金をレジに入れ、おつりをとるように言われ、おばあちゃんとその女性はじっと見ていました。レジを閉めると、ちょっと判り難い発声で「ありがとうございました」とおっしゃり、おばあちゃんも「ありがとね」と笑いました。

かなりの衝撃はあったのですが、食品もお美味しかったので、お散歩のついでに寄ることが多くなりました。

後から知ったことなのですが、そのお店は新座団地やその近辺に住む、養護学校の教員、学童保育所の指導員、団地選出の市議などが中心となって仲間を呼びかけ、みんなの居場所として作ったとのことでした。モットーは「大人も子供も、男性も女性も、老人も障がい者もみんなでずっと暮らすまち」。なんと40年も前のことです。地域包括ケアシステムという、固くて意味不明な表現よりずっとわかりやすい。

いつの間にか私もその仲間たちの一人になりました。運営資金を集めるための「よろづ市」に参加したり、夜の運営会議にも出るなかで、障がいがあっても地域の中で普通に生きることは本人だけでなく社会として大切なのだ、という事を学ぶことになりました。研修とか講演とかではなく、子育てをしながらの仲間作りの中に障害のある人たちもいた、ということです。思い出しても楽しいことばかりでした。



かくの木の設立時の3人はいろいろな線でこのよろづやに繋がっています。堀ノ内病院に「てまや」という売店ができたのも考え方は同じだったと思います。中心となって立ち上げに関わったのは、かくの木設立メンバーの由利陽子さんです。それについては、改めて話を伺ってから書いてみようと思います。