~ みずの会との出会い ~


「みずの会」というのは女性が中心となって作った革新無所属の政治団体です。女性だけが未婚か既婚かで変わるMrs. Missではなく、総称としての Ms(ミズ)が名前の由来の一つです。私は後から参加したので聞きかじりなのですが、この会との出会いが、かくの木を一緒に始めた3人のメンバーの出会いにも繋がるので、記憶を遡って残しておこうと思いました。。

団体の設立は、新座で暮らす母親たちが行った二つの運動がきっかけだったようです。

一つは、新座団地に保育園を作って欲しいという運動。前回も出ましたが、新座団地は1970年に建てられたURの団地で、当初は保育園がありませんでした。共稼ぎの若い世代が沢山入居したこともあり、困った母親たちが団地内に公立の保育園を作るよう市に働きかけた。その運動がきっかけで大正保育園という公立の保育園ができたと聞いています。

もう一つは、その子供たちが小学生になったころ、学校給食を、より効率を重視したセンター方式に変えるという市の提案があった。子供の成長には、地元の食材を中心にした安心な食材と、化学調味料や合成洗剤を使わない安全な調理方法で給食が提供できる自校方式が望ましい、というセンター方式の撤回を求める署名活動を行い、結果的にセンター化を阻止した、という運動です。新座市は現在も自校方式で美味しい給食が提供されています。

新座市の女性たちのなんと活動的だったことか・・・。びっくりします。

それらがきっかけとなり、市政に生活の問題を訴えるには女性の市議が必要なんだ、という思いを共有する人たちで「みずの会」という政治団体ができ、少しずつ広がっていきました。最初の議員は二つの運動の中心にいた太田博子さんで、団地選出の議員として新座市議会で力強く活躍してくださいました。その後、小島美里さん、星川一惠さんと続きました。



簡単にまとめすぎではあるのですが、「みずの会」は、そんな元気な女性たちが作った団体がでした。何よりも大切にしたことは、暮らしを守ること、それは目先の自分たちの暮らしだけでなく、地球上のみんなにとって大切な暮らし。広く大きな視点を常に忘れないようにしていました。暮らしと社会は常に繋がっているのですから。日本の女性の参政権運動をリードした市川房江さんの活動がモデルでもありました。

私たちは、みずの会の活動があったから出会えたと思います。かくの木の前代表の太田弘子さんは、みずの会の初期から運営を支えた方でもあります。「新座に女性の議員を」「政治は生活です」というスローガンや目標に、私たちは賛同し活動しました。約50年前に芽生えた女性たちの活動ですが、今でも全く色あせておらずSDGsという世界の目標に多くが包含されています。不平等を無くす、住み続けられるまちづくり、クリーンなエネルギー、自然の豊かさを守る・・・、身近な生活者の視点で考え、実践し、協力し合う。特にジェンダー平等という観点では、新座市は令和3年度の女性市会議員の数が全国4位(46.2%)です。まさにその道筋をつけたのも「みずの会」だったと思います。

現「NPO法人暮らしネットえん」(略えん)の代表の小島美里さんは、みずの会が2番目に擁立した市議です。えんのホームページ「法人案内|特定非営利活動法人 暮らしネット・えん (npoenn.com)」でも、基本理念や沿革、代表の言葉などに、その当時からの理念が反映されていることがわかります。えん設立のきっかけは、市議だった小島さんが中心となって、ある障がいの方の自立生活を支える自主グループを作ったことです。当初私たち三人もその仲間でした。その後、私たち3人は医薬分業の風を受けて、医療の面から地域に貢献するという選択をしました。自主グループのメンバーたちも、介護保険の創設が見えてきたことで、介護提供事業所としてNPO化に進みました。かくの木とえんは、医療と介護という視点に分かれて、ほぼ同じ時期に始動したことになります。

みずの会はその後解散しました。でも、その理念は新座市で活動する多くの仲間に引き継がれていると思います。かくの木もその一つで、SDGsを積極的に推進し社会貢献する会社として頑張っていると思います。