共に生きる、共に働く

 

かくの木ができる前のころからを、ポチポチ思い出して書いているのですが、先日、25周年の時に作っていただいたスライドショーを再度見る機会がありました。このスライドショーは、現役員の相原さんが夜なべして作ってくださったものです。こんなのが個人で作れるんだとびっくりしたと同時に、思い出がたくさん詰まっていて泣きそうになったことを覚えています。

そして改めて見直したら、また泣きそうになりました。昔の思い出で泣きそうになる代表なんてダメダメです。やっぱり潮時です。 

かくの木25周年スライドショー 20171022 - YouTube


障がいがあっても働ける職場作りは、思うほど容易なことではありませんでしたが、ほぼ開局と同時にお二人の車いす利用の仲間が加わったことは何よりでした。スライドショーにも出てきた、そのお一人である堀さんは、今ではかくの木の最長勤続社員です。でもそれは、会社が何かしたわけではなく、彼女が我慢強くて、いろいろなことを考えて、受け止めて、頑固に意思を貫き通す人だからと私は思っています。

脳性まひという重度障害を抱えながら地域で暮らすという選択は、多くの人の手を借りてでも自分らしく暮らすという選択であり、地域に顔が見える仲間が沢山いたからできる選択でもあったと思います。かくの木で働いてみないかという声掛けも、そんな繋がりがあったから伝えることができました。

一方で、薬局の外来業務はあまりにも忙しいので、作業机を2階にせざるを得ず、開局してすぐに階段昇降機を付けました。これがあれば、車いすから移譲して2階のデスクまで人の手を借りずに行けます。彼女はそこで処方箋調剤を行った記録となる書類(処方箋と調剤録)に必要な捺印があるか確認して整える作業をします。また、保管期限が切れたら、それらの書類をシュレッダーで廃棄する作業もします。医療保険を使う仕事には多くの決め事があるのですが、それらの書類は保管期間が3-5年と決められています。最長勤務社員の彼女は、それらの書類が今どうなっているか、また、その部屋にある事務作業に必要な文具のストック場所などもしっかり把握しています。すごく忙しい薬局なので、本当に困ったときは大きな声で助けを求めてねと言っています。スタッフは余計な気を使うことなく、当たり前のようにそこにいる、そんな存在です。

この20年で障がい者雇用は随分進展しました。一定規模以上の会社に雇用が義務付けされたことも大きく影響していると思います。大きな会社はハード面の整備が進み、働きやすい環境を提供できます。でもその反面、資本主義社会は効率化や合理化を求める方向が強くなり、心や体を病んでしまう方が増えています。自己責任という言葉が重くのしかかる社会でもあります。なので、障がいという枠組みにも変化が出ているように思います。また、周産期医療の高度化で医療的ケア児が増えているという現実もあります。高齢になってできないことが増えるのも一つの障がいと捉えることもできます。

誰にも重い負担をかけず共に生きるというのは、障がいのあるなしにかかわらず実は難しくなっている気がします。目を背けずに考え続けたいと思っています。