朝日新聞に掲載されたえん小島さんの文章。忘れないための記録

 「まず自助」と言われても 朝日新聞2020/10/6耕論

 ■自助自立、支えがなければ 小島美里さん(NPO法人「暮らしネット・えん」代表理事)

 「公助」の最高責任者でありながら、「まずは自助」を掲げる菅首相に私は怒りを覚えます。でも、希望を見いだしたいからこう要望します。

「では、みんなが自助で生きられるような社会にしてください」と。

 私は、高齢者介護や障がい者支援、認知症カフェなどに取り組み、助けを必要とする人たちと接してきました。低賃金で知られる介護職員の雇用主でもあります。ヘルパーなど介護職はとても貯金ができるような収入はなく、一生懸命働いても十分な年金はもらえないでしょう。こういう人たちにも、「自助」で生きろというのでしょうか。

 私は認知症や障害が原因で生活が乱れ、ゴミに囲まれ、食事もままならないのに、「大丈夫、自分でできます」と「自助」で暮らそうとする人をたくさん見てきました。自助を強調することで本当は苦しいのに「助けて」と言えなくなる人がいま以上に増えるのではないかと心配です。最近では、介護サービスの人手不足のため、必要なだけヘルパーが来てくれないこともあります。認知症が進み、一人で外出して警察に保護されるようなことが繰り返されても、特養ホームに入れないといった事例も増えています。支えとなるべき制度が、弱体化しているのです。菅首相は、「自助」の次に家族や地域で助け合う「共助」を掲げますが、だれが担うのでしょうか。

 最近は身寄りのないお年寄りが増えています。地域のつながりを担う存在とされてきた町内会の加入率も減る一方です。30年前、私が仲間と介助ボランティアグループを立ち上げたとき、メンバーは30、40代の「専業主婦」が中心でした。今はその当時と違うのです。
 
 私たちのNPOは、子どもや孤食の高齢者を支える食堂も運営し、「地域の助け合い」の象徴のように扱われています。ただ、目の前で栄養がとれなくなる子どもたちを放っておけないだけです。

 政治の仕事は本来、「食べられない人がいない社会」をつくることのはずです。それなのに、「食堂があるから大丈夫」と考えていませんか?現場の善意を美談にして、託すだけでは無責任です。

 自助・自立とは「支えを受けずに生きること」ではなく、「安心して生きるための支えを持つこと」だと思っています。私たちは健康、職業、受け継いだ資産など色々な要素によって支えられているから自立・自助できる。どれかを持っていなかったり、失ったりすることは「自己責任」ではないはずです。何かの要素を失っても、代わる支えさえあれば自立できる。「自立のための支援」を誰もが受けられる社会にして欲しいと願います。(聞き手・田中聡子)